今日は朝から雨のため散歩はお休みです。
少し脱線して、私が帰省中に撮った郷土の写真から紹介します。 奥州市の9月21日(見ごろを過ぎている)の田圃アートです。 下は、奥州市胆沢区の厳冬期恒例イベント「全日本農はだてのつどい」を表現しているのだそうです。 「農はだて」とは、 昔の農家の人達は、一年中休みなく働き、休みと言えば旧正月の十日間ぐらいのものでした。 この休みが終わり新年の農作業を始める日を「農はだて」と言うのだそうです。 この日、男達は朝早くからモドツと呼ぶ24本の縄を綯い、女達は小さなワラを束にして取り出し、稲ワラを苗に見立てて田植えをし、その上から豆ガラを敷いて豊作を願った。 そうした行事が終わると、皆で餅を食べて「農はだて」の行事は終わる。 昔ながらの風習が失われようとする時、農耕文化の再生と地域活性化を目指し、全国的な広がりをつくり出そうとするのが「全日本農はだてのつどい」で、冬期のイベントとして平成2年から始まったそうです。 一方、この田圃を見下ろす位置に下の写真のような「櫓」があります。 「胆沢」は、「続日本紀」宝亀7(776)年「陸奥軍三千人を発し、胆沢の賊を討つ」と初めて登場する。その後、延暦21(802)年に胆沢城がつくられる平安時代初期にかけて古代東北史の歴史舞台となった。 この胆沢の歴史は、国家支配の拡大という歴史の中にのみ込まれてゆく蝦夷社会をうつし出す歴史でもあった。 宮城県栗原の蝦夷出身の郡司・伊冶公呰麻呂の乱(宝亀11年)で伊冶城と陸奥の国府多賀城が焼き落とされ、9年後の延暦8年、紀古佐美の率いる朝廷軍をアテルイ(阿弖流為)とモレ(母禮)が「日上の湊」に破る「巣伏の戦い」が起こっている。 そして、延暦13年と20年の二度にわたる坂上田村麻呂とアテルイの「胆沢の戦い」後、胆沢地方は古代国家の支配に組み込まれた。 この延暦21年、アテルイはじめ多くのエミシたちは、胆沢の肥沃な大地で平穏に暮らせることを願い坂上田村麻呂に降伏するが、アテルイとモレは、河内国椙山(大阪府枚方市)で処刑された。 胆沢の未来を願ったアテルイとモレ。彼ら「蝦夷の群像」を千年の歴史の中で見つめ続けてきた北上川とともに、彼らが願った胆沢の未来を、私たちは築いていかなければならない。 阿弖流為と母禮の活躍については、直木賞作家・高橋克彦が大作「火怨」(吉川英治文学賞受賞)で、「平穏な生活を守るための戦い」を感動的に書き上げています。 尚、坂上田村麻呂が創建したと伝えられる京都の清水寺境内には、平安遷都1200年を記念して、1994年(平成6年)11月に「アテルイ・モレ顕彰碑」が建立されています。
by Musashinosampo
| 2012-09-23 17:03
| 郷土史
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